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    本年、国会議員として在職25年を迎え、11月2日の本会議において、参議院の院議により永年在職表彰を受けました。
   これもひとえに長年にわたる皆様方のご指導ご支援の賜と厚く御礼申し上げます。
   これを節目に、国のため、地域のために一層の努力を積み上げて行く決意です。
  
                  
               (11月2日の参議院本会議場で謝辞を述べる藤井孝男議員)

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                              謝 辞

  ただいまは、院議により永年勤続表彰の栄に浴し、心から厚く御礼申し上げます。また、輿石東先生より身に余るお祝いの
  言葉を頂戴いたしまして、恐縮に存じます。
  私は昭和五十六年の二月一日、鈴木善幸内閣が誕生して初の国政選挙となりました岐阜県地方区の参議院議員補欠選挙に出
  馬し初当選させて頂きました。その後、参議院三期目の平成五年に衆議院議員に転出し政治活動を続けて参りました。
  二年前の総選挙で苦汁を味わったものの、この七月の選挙で参議院議員として国政に復帰することができました。
  思えば、昭和五十六年二月の初めての選挙は、参議院議員をつとめていました父藤井丙午が急逝し、亡き父の遺志を継いで
  の選挙戦でした。折しも豪雪の年で、県道はおろか国道でも通行不能な地域が続出し、二階の窓から出入りするような大変
  な状況の中での選挙でございまして、私も長靴を履いて、街宣車が入れないところは徒歩で駆け回り、「藤井孝男をよろし
  くお願いします。」と言いますと「お願いする前に雪下ろしを手伝え」などと言われながらの選挙戦でした。
  そのような中でも、多くの先生方に応援に来て頂きましたが、忘れもしないのは、故竹下登先生に応援演説をいただいたこ
  とです。演説が終わった後、竹下先生から「藤井君、選挙というものは、当選したらそれはみんなのおかげだ。落選したら
  それはすべて自分の責任だ。」と諭されたことです。
  このとき私は弱冠三十七歳でありました。
  また父藤井丙午は、政治家としても見習うべき手本でありましたが、財界の三筆とも言われ、多くの揮毫を遺してくれました。
  私は、国会議員になって以来ずっと、一幅の父の書を事務所に掲げて参りました。それは「一隅を照らす」という三文字で
  あります。「社会の一隅にも気を配り、光を当てなければならない」というこの言葉は、父が私に遺してくれた教えの一つ
  であり、私の政治家として変わらざる信念であります。
  政治には懐の深さと幅の広さが求められると私は思います。「自助自立を柱としながら、どんな国民にも居場所のある社会」
  を目指すのが、政治家藤井孝男の責務だと、思いを新たに致しております。
  私は二十五年間、参議院議員と衆議院議員をちょうど半分ずつ経験をさせて頂きました。両院が担うべきそれぞれの役割と
  使命というものを考えますと参議院においては、長期的視野に立った政策やプロジェクトにイニシアティブを発揮すること
  で参議院の存在意義と優位性を確保していくことが大切ではないかと存じます。政治に「改革」は常に問われます。一方で
  「継続は力」ということもございます。何を守り、何を変えていくか、ということについてじっくりと考え議論できる参議
  院であればこそ、国民の負託に応えられるのではないでしょうか。
  本院に国民の代表として選ばれた皆様方も、それぞれの政治信条の違いはあれ、国家の将来のため、国民の幸せを願って国
  政に取り組まれていらっしゃることと存じます。皆様と共によりよき日本の実現を目指して参りたいと存じます。
  最後になりますが、今日まで、ご指導を頂きました先輩・同僚議員の皆様、また、陰に陽に私を支えてくれました後援会の
  皆様、地元岐阜県の皆様方に対し心から感謝を申し上げまして御礼の言葉といたします。
 本日は誠にありがとうございました。
 
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